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元号(年号)の決め方誰が決めるの?平成の意味と考案者は秘密?

平成、昭和、大正、明治・・・日本では西暦よりもの元号が使われることが多いです。

その日本の大切な元号って誰が決めるの?って疑問がでますよね。

いったいどのように元号が決まっていくのか?いつから始まったのかや「平成」の考案者や平成の意味なども調べてみたいと思います。
  


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天皇が崩御すると元号が変わるというのはいつから?

今では当たり前のように天皇が崩御すると元号が変わるとなっていますが、これはいつの時代から行われていたものでしょうか?

これは、明治政府が明治に改元した時に、一世一元の詔を発布したのが最初となります。

それより以前は災厄事などがあると改元していました。

第二次大戦後に日本国憲法の制定に伴い、一世一元の詔は法的根拠を失います。

しかし、1979年の元号法の制定により一世一元の制度に法的根拠が与えられました。

 

条文がもっとも短い元号法

元号は1979年に公布された「元号法」によって決まります。

元号に関する規定は、もともと旧皇室典範にはあったのですが、が現行の皇室典範になかった状態でした。

慣習として用いられている元号に法的根拠を与えるために「元号法」は、制定されました。

この「元号法」は日本の法律の中でもっとも条文が短いものです。

 

①元号について政令で定めること

②皇位継承のあった場合に限り改めること

と規定しています。

附則でこの法律は公布の日から施行することが書かれいますね。

 

元号(年号)の決め方誰が決めるの?

これだけの短い条文ですので、なにも手順が決めれらていません。

そこで1984年に元号の選定について、具体的な要領を定められました。

「候補名の考案」

内閣総理大臣が選んだ漢文学や国文学関連の大学教授ら有識者が2~5の候補を考案します。

その時、その意味・典拠等の説明を付して候補として提出されます。

 

「原案の選定」

候補名を総理府総務長官、内閣官房長官、内閣法制局長官による会議において精査し、新元号の原案として数個の案を選定する。

そのとき留意するのはこのようなことです。

1. 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つもの

2. 漢字2字

3. 書きやすい

4.読みやすい

5.これまでに元号又はおくり名として用いられたものでない

6.俗用されているものでないこと

 

結果を内閣総理大臣に報告されます。
「協議」
国民を代表する形で衆参両院議長の意見を聞くといった意味で

全閣僚会議において、新元号の原案について協議する。

 

④そして閣議で決定される

といったことが細かく制定されました。

 

 

元号(年号)の決め方「平成」の場合

このような元号の決め方なのになるのですが、今の元号「平成」が決まったとときの流れを見ていきましょう。

流れは、こういったものになります。

1989年(昭和64年)1月7日昭和天皇の崩御 午前6時33分、午前7時50分発表される   ➡

同日午後に政府が8人の有識者で構成されている「元号に関する懇談会」が召集され候補名の考案。➡

衆参両院正副議長3つの候補を示し、審議 ➡

それをもとに同日の午後2時10分から開かれた臨時閣議で正式に決定  ➡

決定した後陛下に上奏し、御名御璽を頂く

14時36分、内閣官房長官の小渕恵三が記者会見で発表 ➡

改元は翌1月8日です。

即日施行になった理由は機械類などの日付けの調整時間が必要だったと言われています。

このように1984年に元号の選定について、具体的な要領が示されていたのでほぼ流れにそって「平成」が決定されていきます。

しかし、明らかに閣議で決められた流れになるために、古くから伝統を重んじる方からの

『陛下がTVを見てから新元号を承知されるのはおかしい』との声が上がります。

これまで元号は全て歴代帝がお決めになったものであったからです。

陛下自らがお決めにということは明らかに憲法違反になってしまうためできません。

そこで、

政令により決定したあとに、
決定した後陛下に上奏し、御名御璽を頂き、後公布する。

という流れをつくり、既に陛下には御裁可を頂いているという形をとったのです。

 

ともあれ、小渕さんの

「新しい年号は、平成であります」と言いながら新年号を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされました。

「平成」が決定されたときは、皇位継承が必要となってから政令は

天皇の国事行為として公布されれるまでわずか、6時間と少しくらいの時間でした。

衆参両院正副議長に3つの候補を示し、意見を聴く意見を聞くといった形式はとっているが、「昭和」の次の元号「平成」はかなり前から用意されていたものなのでしょう。

「元号に関する懇談会」から衆参両院正副議長に3つの候補を持っていく際も、「平成」は最初に書かれていたみたいです

また、他の候補「修文(しゅうぶん)」、「正化(せいか)」はローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になることから初めから選ぶはずがないものだったのだといいます。

  



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平成は、誰が考案者?

では決定した「平成」という元号は誰が発案したものなのでしょうか?

「平成」は元号法が制定された際に陽明学者・安岡正篤氏が考案したと一般的に言われています。

しかし、関係者はこれを否定しています。

それは、当時安岡氏をはじめ、新元号の発案を委嘱していた諸橋・坂本・貝塚等の国語・歴史・漢語学者たちは既に亡くなっておられ。

ています元号は縁起ものなので、亡くなった方のものが使えないというのが不文律があるためです。

 

また、この時、閣僚などを通じてなのか、元号候補にあがっていた「平成」や「修文」といいった情報が外部に漏れています。

そのことによって一部の国民の間には予め元号を予想する事が可能だった、みたいです。

「平成」の元号は昭和63年9月の時点で「平成」「修文」「正化」の3つに絞りこまれていたと言われいます。

この3つを起草したのが「儒教」の東大教授・宇野精一氏、「漢文学」九大名誉教授・目加田誠氏、「東洋学」東大名誉教授・山本達郎氏の三人です。

発案者はだれかということは秘密になっています。

関係者の話からは山本達郎氏が考案の発案者であるという説が有力です。

 

「平成」の意味は?

そうやって決まった「平成」にはどういった意味があるのでしょうか。

「平成」は、史記の「内平かに外成る」といった言葉からとっています。

書経の「地平らかに、天成る」といった言葉からとっています。

読みやすさ

書きやすさ

使用されてない

事等諸条件をクリアーしていることで推挙されました。
ですが当時の中国には外国と平和関係と言う観念は存在しません。

またすべて夷蛮という考えですので本当の意味は国内は平和に、国外は外征に成功する、という意味でつまり武力によって中国周辺の国を従える、という事です。

そういったことから「平成」は決して平和な言葉とはいえないともいえます。

 

しかし、法人名や外国での地名・商標屋号・歴代帝との重複がないかまで事細かく調査され、最終候補になったのです。

使われていないという条件のため、地名は大字まで調べられたということです。

ただ、その後岐阜県の小字に「へなり」と呼ぶ地区があったことがあとでわかっています。

このように平成の選定は諸条件をクリアするために大変な調査が必要なのですね。

 

ま と め

今回は、元号の決め方と誰が具体的に「平成」は誰が考案者なのか意味も含めてみていきました。

日々つかっている元号がこのような手順を踏んで決められていることがわかりました。

原案の考案者は誰かということは秘密にされているようですが、学識者の教授の方々が国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つもの 漢字2字、 書きやすい、読みやすいこれまでに元号又はおくり名として用いられたものでない、俗用されているものでないことなど諸条件をクリアするものを考えられているのですね。

「平成」の次の元号もすでに有力候補はあがっているのかもしれません。

「平成」の次の元号(年号)は未来人などの予想なので盛り上がっています。

今回の調査した条件や流れなどを認識しながら次の元号(年号)を考えてみてもいいですね。