放送作家でタレントの永六輔さんが、7月7日に死去されていたことがわかった。TBSラジオの生放送番組『六輔七転八倒九十分』が2016年6月27日の放送終了したのち、腰の手術を受け休養中とされていた。永六輔さんの死因や輝かしい功績などを振り返り、晩年の前立腺がんやパーキンソン病との闘いについてもお伝えしたいと思います。
放送作家、司会者そして作詞家として活躍
1983年(昭和8年)に東京・浅草のお寺最尊寺の息子として生まれた永六輔さん。
長野県で疎開のうちに終戦を迎えます。
そして東京にもどって早稲田中学校に入られます。
このころからNHKラジオ「日曜娯楽版」に投稿を始め、早稲田大在学中に「日曜娯楽版」を手がけていた三木鶏郎氏にスカウトをうける。
それから放送作家、司会者としての道がひらけデビューとなるのですね。
その後、作曲家の中村八大氏と組んで、作詞家業を開始する。
するたちまちと中村・永のコンビで一世を風靡。
1960年代を代表する
「こんにちは赤ちゃん」
坂本九の「上を向いて歩こう」
など数々のヒット曲を生み出すことに。
永六輔さんの作詞した曲はほかに、作曲家いずみたく氏と組んだ
「いい湯だな」
「見上げてごらん夜の星を」など誰しもが口ずさんでしまうような歌があるのですね。
永六輔さんのラジオの世界
そんな永六輔さんは1960年代の半ばから主な活動をラジオ移すことになります。
1967年から2013年9月まで毎日放送されていたTBSのラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」は放送回数がなんと1万2629回に達します。
最長寿番組ですね。
同じTBSのラジオ週一番組の「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」も1991年から2015年9月まで続きます。
そのように永六輔さんは、名ラジオパーソナリティーとして活躍をつづけられてきました。
前立腺がんやパーキンソン病との闘い
ラジオ番組での活躍を続けていた永六輔さんですが、2009年あたりからろれつがまわらないとか滑舌が悪くなっていると噂になっていた。
そして2010年になるとパーキンソン病と診断されたことを正式に発表されました。
さらに前立腺がんであることも・・・。
パーキンソン病を発症してからは体をうまく動かすことができなくなったようで転倒などで入院することも度々あったと言います。
一時は引退も考えたと語る事もあった永六輔さんですが、投薬治療されるようになってからは症状が良くなりラジオ番組でも会話が滑らかになってきたことで番組を継続。
また、永六輔さんと親しいおすぎさんはパーキンソン病でなくバセドウ病だとラジオでいっておられます。
どちらにしても大病を患いながらも1967年1月から続いた永六輔さんの冠ラジオ番組を2016年6月27日の「六輔七転八倒九十分」放送終了まで約50年間続けられてきたのですね。
永六輔さんの死因は?
晩年はパーキンソン病や前立腺がんなど病気を多くかかえられていた永六輔さんです。
死因はあきらかにされていません。
前立腺がんなどの転移が原因だと考えるのが通常ですが、83歳と言う高齢ということあるためにがんの急激な進行といったことも考えにくいです。
2016年2月には脊柱損傷の手術を受けておられるようですので、肺炎による老衰と言う可能性もありますね。
直接の原因はわかりませんが、とにかくかなり苦しまれたこともあったと思いますので、今は安らかにされていると思います。
ま と め
1994年には老いや死を巡る言葉を集めたエッセー「大往生」が200万部を超えるベストセラーになるなどされて、多彩な活躍を最後までされていた永六輔さんほぼ最後まで現役で過ごされたのですね。
昭和を代表する作詞家としてそして草創期のテレビ界で放送作家として活躍多方面で才能を発揮した永六輔さんのご冥福をお祈りいたします。
永六輔さん死去享年83才。とても大切な言葉を残して下さいました。お疲れ様でした。安らかにお眠り下さい。
「民主主義というのはゆっくり機能するものなのです。テキパキやりたいなら独裁主義にしないとねェ」 pic.twitter.com/7ed1Ml3Juq— Siam Cat_036 (@SiamCat3) July 11, 2016