日々暮らしていくのに暦、カレンダーがなかったらたいへんですね。
生活するうえでとても大切なものである、「暦(こよみ)」ですが、
その暦の意味とは?をあらためて見ていきたいと思います。
暦の種類や「新暦」「旧暦」の違いをわかりやすくといつからか日本では「新暦」になったのかなどを気になることも合わせてお伝えします。
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暦(こよみ・れき)の意味とは?
暦は、「こよみ」「れき」とよみ、この「暦」意味するものは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたものです。
その構成の方法論(暦法)に対して使う場合とそれを記載した暦書・暦表そのものを「暦」といったりします。
ですので、毎日何気なく目にしているカレンダーも暦(こよみ)とも言いますね。
暦には日付だけでなく季節の変化や年中行事なども細かく記されたものがあります。
曜日、
月齢、
天体の出没の時刻(日の出・日の入りや月の出・月の入り)、
潮汐(干満)の時刻などの予測値、
行事、
吉凶(暦注)
などですね。
もともと暦の語源は「日読み(かよみ)」です。
それから「こよみ」というようになったのだそうです。
「こよみ」があるからこそ、日数を調べたり、今日が何日なのかを知ったりするすることができる人にとても大切なものですね。
暦の種類・三つの暦
暦は天文学の発達とともに長い年月をかけて作られてきました。
世界各地で生まれた暦は暦法も表し方もさまざまです。
暦の種類や呼び方は
暦法、
暦年、
太陽暦、
太陰暦、
グレゴリオ暦、
新暦、旧暦、西暦、陰暦、陽暦、還暦、革命暦、天体暦
等多種多様です。
多くはありますが、大きく3つの種類に分かれます。
太陽暦
太陰太陽暦
太陰暦
現在世界各地でもっとも広く使われているのが太陽暦です。
■太陽暦
太陽の運行を基準に考えられた暦です。
太陽と地球の位置関係は季節と関係しています。
ですので、太陽暦では季節が正確に表されます。
地球が太陽の回る周期は365と4分の1日です。
1年を365日とすると、残った4分の1日は四年に一回の閏年を使って2月の最後に1日増やすことで帳尻を合わせています。
太陽暦の起源はエジプト暦 (シリウス暦) です。
ナイル川の洪水予知のため古くから用いられたそうです。
そして、紀元前46年カエサルにより1年を365日とし、四年ごとに1日の閏日をおくユリウス暦が制定されました。
また1582年 教皇グレゴリウス 13世により、さらに 400年ごとに3回閏日を省略する修正が加えられます。
これが現行のグレゴリオ暦となります。
■太陰太陽暦
太陰太陽暦は太陽と月の両方の運行を取り入れて作られました。
細やかな暦法です。
月の満ち欠けと連動して日付がつけられています。
立春に近い新月の日を1年のはじまりの日としています。
1年は354日か、355日になります。
季節の変化にも対応しています。
1月が29.531日でこれが12カ月分だと354日と3分の1日になるので約11日分のずれは約三年に一度の閏月で取り戻します。
太陰太陽暦は日本では旧暦と呼ばれるものです。
バビロニア、インド、ギリシア、中国などで用いられました。
■太陰暦
太陰暦は、月の運行29.531日間の月の周期のみで進んでいきます。
月の満ち欠けと太陽の動きは関係ありませんので、季節と日付は対応していません。
今使われている純粋な太陰暦の代用的なものはイスラム暦(マホメット暦) です。
といったように3つの暦の分割の基礎になるものは、
月の公転周期 (29.531日) と
地球の公転周期 (365.242日) でした。
現在、世界的に多くもちいられているのは太陽暦、西暦ですね。
天体の運行を精密に知るためには天体暦を使用するといったこともあります。
「新暦」と「旧暦」の違いと日本ではいつから新暦に変わったのか?
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■「新暦」と「旧暦」の違いと「月遅れ」
日本では昔使っていた暦と今使っている暦は違っています。
そこで昔使っていた暦を「旧暦」、現在使用している暦を「新暦」と呼んで区別しています。
日本で「新暦」と呼ばれているのは太陽の運行を基準としている太陽暦のことです。
現在の世界基準の太陽暦(グレゴリオ暦)を日本では使っています。
「旧暦」は、それ以前の日本で使っていた暦で、太陰太陽暦です。
「太陰太陽暦」は、旧暦は月の満ち欠けを基本にしてます。
例えば、新月は、1日、満月の日は15日になります。
そうした月の運行に基づいた太陰暦に太陽暦の要素を加えたものです。
「旧暦」は、1年の日の数え方が354日か、355日と
「新暦」365日(366日)と差があります。
そして一年の始まりは、
「旧暦」では、「立春」に近い新月ですのでそのころに元日となり、
そこも違いますので、新暦では旧暦より月日がだいたい1ケ月ほど早まることになります。
もちろん旧暦は新暦との差は、必ずしも1ケ月ということではありません。
短い期間で22日ほど、長い期間で45日ほどの差になります。
それぐらいの差があるとやはり昔からの行事などは季節感が違ってきます。
節句や季節の行事をするときは旧暦で考えたほうがしっくりきます。
といったことで、各地で催される年中行事は旧暦の日付で行われたり、「月遅れ(つきおくれ)」といってひと月後ろにずらした日付で行われた「月遅れの行事」といったものが各地に見られます。
「月遅れ」は、旧暦ですると毎年、新暦の日にちが変わりわずらわしいので、一ケ月遅れなら昔の年中行事の季節感が守れるのではないか、ということできた考え方により生じたものですね。
■日本ではいつから「新暦」に変わったのか?
日本で現在の新暦を使用するようになったのは、
太陽歴に変わったのは、明治5年12月3日のことです。
この時は、明治5年12月2日の次の日がいきなり、
明治6年1月1日になったそうです。
明治5年12月2日までは「旧暦(太陰太陽暦)」で、
12日3日から「新暦(太陽暦)」へと改暦されたのです。
年末がなくなったのですから、かなり変な感じになりますね。
しかも、正式に決定されたのは、明治5年11月9日のことだそうです。
「太政官布告(第337号)」という法律によって決まりました。
その法律の公布から、改暦まで1ヶ月もないという慌ただしさだったそうです。
年末ですので、既に翌年の暦は印刷されていたり、混乱もおきたようです。
このように明治の改暦は、かなり強引で突然でなことだったようです。
■「新暦」太陽暦の変更はなぜ行われたのか?
もちろん、新暦にかわったの理由は、世界的に太陽暦が使われてきたこともあったでしょうが、
生活基盤である暦の急激な変更で多くの誤りや問題点はあったそうです。
ではなぜ、急に明治新政府は改暦を何故おこなったのでしょうか?
その理由は明治政府の深刻な財政問題があったといわれています。
「旧暦」では翌明治6年は閏年で、閏月が入るため1年が13ヶ月あることになっていました。
既に役人の給与を年棒制から月給制に改めた後なので、そのまま「旧暦(太陽太陰暦)」でいくと明治6年の年は13回、給与を支払わなければなりません。
これが財政難であった明治新政府にとって難しかったようです。
そうしたこともあって明治6年前に「新暦」の太陽暦にかえると12月の給与の支払いといった1年で1回給与の支払いを減らせるといったことがあったのです。
しかもこの時期に太陽暦に切り替えることによって、明治5年の12月は2日しかないといったことで、月の月給は支払わないということすると、明治5年分の給与も1月分支払わなくて済みます。
これによってかなり財政がたすかるといったことがあった事情が急激に決めた理由だそうです。
また、改暦とともに、それまで暦につきものだった迷信的暦注を、明治政府は暦から削除します。
そういったことにより、民衆からはなかなか受け入れられず、暴動も起こり、農村などでは長い間旧暦が残ることになります。
ですので日本で全国的に新暦が受け入れられもちいられたのは、戦後の高度成長期になってからのようです。
ま と め
暦(こよみ)の意味とはや、暦の種類や新暦・旧暦の違いやいつから新暦を用いるようになったのかなど見ていきました。
現代でも暦がなければ、スケジュールもたてられないといったこともありますが、そもそも日本人にとって暦は、季節を知らせる役割もあったのですね。
昔の日本では農耕が主であったために、野菜やお米の種をまいたり収穫する時期をするのにも暦はかかせませんでした。
季節の変わり目の起こりやすい天候の変化など作物を育てる時期の目安も暦には記されているなどして、農家の方は種まきから収穫までずっと暦から目をはなせませんでした。
また、農業だけでなく海や川で涼をするにも暦は大切なことを教えてくれる役割もあったそうです。
一定の時期に吹く危険な風に気をつけたりといったことまでわかりとても重要なものだったのですね。
年中行事や節句なども暦に書かれているなどして人々の毎日の生活に寄り添うのが暦だったのだなと感じます。
そうした四季の移り変わりのある日本人にはたんなる日付だけでなく、暦はなくてはならないものなのなのだなとあらためて思いますね。