黒柳徹子さんの半生とその家族の激動の日々をつづったドラマ「トットちゃん!」が好評のようですね。
なにかと注目が集まる黒柳徹子さんの恋愛関係で噂になったただひとりの方である飯沢匡氏のことをご存知でしょうか。
黒柳徹子さんと飯沢匡氏の関係や若い頃の画像と徹子さんの末の弟さんが隠し子というのはほんとうなのかなど見ていきたいと思います。
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飯沢匡と黒柳徹子の関係
■飯沢 匡 (いいざわ ただす)
飯沢 匡 氏は、昭和から平成期にかけて活躍された劇作家・演出家・小説家です。
生まれは、1909年(明治42年)7月23日で、
1994年(平成6年)10月9日に85歳で亡くなられています。
和歌山県和歌山市のお生まれで、愛媛県松山市を経て東京小石川原町や巣鴨で育ったようです。
本名は、伊澤 紀(イザワ タダス)と漢字が違います。
これは、文化学院美術科卒業後に就職した朝日新聞社時代に、
上司に隠れてNHKラジオのために台本を書いた時に、アルバイトが露見しないようNHKの担当者に
「印刷しては別人に見え、アナウンサーが発音すると本名のように聞こえるという名を考えてください」
といったことから勝手につけられていた漢字なのだそうです。
戦後は、「婦人朝日」や「アサヒグラフ」の編集長をつとめ1954年(昭和29年)退社し作家業に入ります。
退社前の1943年(昭和18年)に「再会」でNHKラジオ賞とったりその後もNHK放送文化賞、読売文学賞(第19回・戯曲賞)、
「二号」で第1回岸田演劇賞、など数々の賞を受賞、
ラジオ、テレビ、新派、歌舞伎、狂言、大衆劇、児童劇と幅広い分野で活躍されていました。
■飯沢 匡 と黒柳徹子の出会い
そんな飯沢匡さん活動の一つ放送劇の脚本を書くこと
飯沢匡さんが脚本を担当したNHKのラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で大規模なオーディションがありました。
そのときの飯沢匡氏の要望は、
「大人の女性で子供の声を出せる人がいる筈だ」
ということでした。
そのオーディションに黒柳徹子さんは、応募し、
みごとトン坊役に合格されます。
しかし、その頃の黒柳徹子さんは、、NHK専属のテレビ女優第一号になったものの
いざ現場に出ると、徹子さんの声が
「目立つ」
「普通じゃない」
「ヘンな声だ」
と罵られつづけていた自信を失っていたころだったそうです。
そして、合格してもおろされてしまうのではと心配になった黒柳さんは、飯沢匡氏にあいさつもそこそこに
「私、日本語も喋り方も歌い方もヘンだとみんなに言われています。
個性も引っこめます。勉強して、ちゃんとやりますから」
と訴えたといいます。
しかし、飯沢匡氏は、
「直しちゃいけません。
あなたの喋り方がいいんですから。
どこもヘンじゃ、ありません。
そのままで、いて下さい。それが、あなたの個性で、それを僕たちは必要としているんですからね。心配しなくても大丈夫。いいですね? 直すんじゃ、ありませんよ。あなたの、そのままが、いいんです!」
といったそうです。
自信のない時にそんな言葉をかけられたら、どんなにうれしいでしょうか。
黒柳徹子さん自身も
いくら呑気者で元気な私でも、「邪魔」とか「帰ってもいいや」とかばかり言われ続けていたら、まともなことを、何ひとつできない大人になっていたかもしれなかった
とおっしゃっています。
いろんな人にこうした運命の出会いのような絶対的に必要な方っているのですね。
そこから飯沢匡氏と黒柳徹子さんは師弟関係になったそうです。
飯沢匡氏が脚本を担当した「ブーフーウー」でもがんばり屋の三男ウーに黒柳徹子さんが声優で出演しています。
■飯沢 匡 と黒柳徹子の関係
そんなように出会った飯沢匡氏と黒柳徹子さんですが、飯沢匡氏がなくなるまでの約40年間の間付き合いはつづいたそうです。
師弟関係としたはじまったお二人ですが、いつしか恋仲でないかといった噂もたちます。
黒柳徹子さんは長い芸能生活の中で恋愛関係と噂されたのは、飯沢匡氏ひとりだけだそうです。
しかし、出会った当時から飯沢匡氏は奥さんがおられました。
お二人の関係がどんなに親密になったとしてもその当時、そうしたスキャンダルは厳禁でした。
それでも飯沢匡氏との関係がなくなるまで続くといったとても強い結びつきだったのですね。
黒柳徹子の若い頃の画像と飯沢匡氏の画像
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黒柳徹子さんの若い頃と飯沢匡氏の画像です。
ほんとうに黒柳徹子さんは、透明感のあるかわいらしさがありますね。
黒柳徹子の弟は隠し子なのか?
黒柳徹子さんは、一度もご結婚されていませんので、子供さんはおられないのですが、隠し子がいるのではといった話がよくでてきます。
それは、黒柳徹子さんの末の弟さんが黒柳さんと24歳も歳が離れているといったことがあります。
24歳はなれていれば、十分に母親として考えられますね。
黒柳徹子さんのお母さんは弟さんを出産されたとき47歳だったといったことも1950年当時の常識から考えるとかなりの高齢出産であり、ほんとうは徹子さんの子供なのではといった話がでてきたのだということです。
そして、その弟さんのお写真が黒柳徹子さんのご自宅のリビングに飾られていたといったこともそうした話をほんとうなのではと思わせることになりました。
黒柳徹子さんは1年間ニューヨークに休業していかれていることがあります。
その間に出産したのではといったことも言われました。
しかし、黒柳さんがニューヨークにいったのは38歳の時ですからそのときに出産したといったことは話があいませんね。
どちらにしても24歳も離れていた弟さんに対しては黒柳徹子さんは母親のような気持ちで接しておられたのかもしれませんね。
この話は、黒柳徹子さんの私生活があまり謎が多すぎて都市伝説化している話のひとつになっています。
ま と め
最近、ドラマも放送されて、黒柳徹子さんの私生活にも俄然クローズアップされてくることが多くなってきました。
出会ったときには、妻もいたという飯沢匡氏との出会いからの関係や若い頃の画像などと黒柳さんの末の弟さんは隠し子なのかといったことも、みてみました。
黒柳徹子さんの若い頃ほんとうにかわいいですね。
飯沢匡氏との関係をみてみるとやはりこの方がなかったら黒柳徹子さんはこんな風に今おられないのかなと思ったりしますね。
黒柳徹子さんは飯沢匡氏とであったラジオドラマをきっかけに評判となります。
そして、「NHK三人娘」として売り出され、仕事も増えてきたといった運命の出会いだったのですね。
隠し子といったことはご本人もあまり否定もせずといったことですので都市伝説化していますが、テレビ朝日の帯ドラマ劇場「トットちゃん!」で若い頃のお話どう描かれるのかもたのしみですね。