本日、がんで闘病を続けていた大橋巨泉さんが、死去されていたことが分かりました。亡くなったのは12日だということです。
「ミスター・テレビ」とまで言われて活躍された大橋巨泉さん死去の原因や経歴と名言を振り返りそして子供さん伴侶である奥様をお伝えします。
大橋巨泉さん死去の原因
テレビ番組の司会者として幅広い教養と歯に衣着せぬものいいで親しまれたタレントの大橋巨泉さんが7月12日に千葉県の入院先の病院で亡くなられていました。
82歳でした。
大橋巨泉さん死去の原因は急性呼吸不全のためです。
大橋巨泉さんの経歴
昭和を代表する名司会者で放送作家大橋巨泉さん。
芸能界を50歳半ばでセミリタイアしてからテレビにでることもめったになくなっていたので何をしていた人なの?
といったことを思う方もおられるでしょう。
大橋巨泉さんの経歴を振り返ります。
本名は、大橋 克巳(おおはし かつみ)さん、
芸名の「巨泉」は元々は自身の俳号です。
生まれたのは、 1934年(昭和9年)3月22日 両国で生まれ千葉で育ちました。
早稲田大学政治経済学部新聞科中退してから、ジャズ評論家、放送作家、テレビやラジオの司会者を務め、様々な媒体で情報発信を行っていきます。
もともと放送作家が主でしたが、テレビ番組「11PM」の司会者に抜擢されてから、豪快なキャラクターで大人気のタレントとして活躍されていきます。
冠番組の「巨泉のクイズダービー!」は、1976年1月の番組開始から1990年3月まで司会を担当します。
「倍率、ドン!」
「さらに、倍!」
といった名せりふが有名ですね。
「世界まるごとHOWマッチ」も大人気番組でした。
そんな大橋巨泉さんは芸能界を56歳でセミリタイアされます。
その後、日本とオーストラリア、カナダを行き来していました。
セミリタイアといっても「OKギフトショップ」のお土産店の経営を成功されて
カナダを中心にオーストラリアなどに計7店舗を展開しています。
大橋巨泉さんは2001年には政界に進出もしています。
当時民主党幹事長・菅直人が大橋巨泉さんに出馬を依頼します。
これを受け、最大野党民主党から第19回参議院議員選挙の比例代表候補として立候補し、党内第1位で当選。
しかし、6カ月で辞めている。
この時は、「無責任なタレント議員」というバッシングも覚悟していたそうだ。
その後は、年に何回かくらいのテレビの出演をしながら、
カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本といった国々を拠点とした生活を続けられます。
ビートたけしさんを「タケシ」と呼び、そのほかの大物タレントの交友関係も有名でした。
大橋巨泉さんガンとの闘い
何度もがんに襲われ続けている大橋巨泉さんです。
2005年に余命3年と言われた胃がんで、大橋巨泉は胃の約半分を切除しされています。
そして2013年には、中咽頭がんで腫瘍を摘出し、翌年の2014年には、縦隔のリンパ節へのがん転移が見つかり、30回にわたる放射線治療を受けています。
2015年5月には、さらにがんが移転し、右肺3分の1を切除されています。
また2015年10月に縦隔リンパ節へと転移したがん腫瘍の摘出手術をされました。
壮絶な闘病歴です。
大橋巨泉さんは手術後「徹子の部屋」に出演され、がんからの生還を自らの言葉で語られました。
大橋巨泉さんのご家族(妻と子供)
大橋巨泉さんの今の奥様は浅野順子さん。
大橋巨泉さんより14歳年下です。
もとアイドルの方だそうで1969年にご結婚されています。
浅野順子さんとの間に子供さんはおられません。
前妻のマーサ三宅さんとの間の子供さん
大橋 美加さんと
チカさんがおられます。
チカさんはジャズ歌手として活躍されています。
マーサ三宅さんも有名なジャズ歌手の方だったようなのでその影響なのですね。
ちなみにお孫さんの大谷瑠奈さんはタレントさんです。
大橋巨泉さんの名言
■スランプになってから休むのでは遅い
仕事がうまくいかなくなると充電と称してアメリカへ行ったりするタレントがいるだろ?馬鹿なんだよね。だってよく考えてごらん。電気カミソリの電気がきれてから充電しても間に合わないんだよね。
■夢を実現できる方法を探ってそれに邁進するしかない。
■人に助言を与えることにも用心深くしよう。賢い人はそれを必要としないし、愚かな人は心に留めないだろうから
■日本人ほど「ありがとう」という言葉を口にしない民族はそうそういませんね
■人間の欲は無限であるから、あれもこれもと思うのはわかる。でも結果はアブハチ取らずになるのが関の山だ
■「どんなに才能があっても、毎日出ていて、同じようなことをやっていれば飽きられるのは当然だ」
■集団の真ん中にいたら、絶対にダメだ。どうせなら、ビリを走れ。時代の風が逆から吹いたら、自分がトップに立てる
出典:http://meigennooukoku.net/
どれも考えさせられる言葉です。
物事の本質を時代感覚とともにとらえることができる方だったのですね。
ま と め
テレビの創成期に関わった大橋巨泉さんの死去はとても残念なし知らせでした。
時の政府や政治に対して、憎まれ口をたたくことも臆せずにし続けてきた方ですね。
同世代に活躍された構成作家の永六輔さんも先日なくなられました。
時代の流れでしょうがさみしい感じですね。
大橋巨泉の場合は、胃がんから始まり、中喉頭がん、肺がんと、大きな手術も何度も乗り越えられてこられました。
勇気と笑いをありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。