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うさぎ島の行き方アクセス!大久野島フェリー便とエサの持ち込みは?

うさぎ島

うさぎの楽園といわれている海外でも人気の「うさぎ島」行き方アクセス方法とうさぎ島と言われる大久野島へのフェリー便エサの持ち込みなどと何故うさぎが住むことになったかなどのうさぎ島の歴史とともにお伝えします。

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うさぎ島(大久野島)の行き方アクセス方法

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うさぎ島(大久野島)の行き方アクセス方法です。

■うさぎ島へ電車(新幹線)で行く場合

JR山陽新幹線「三原」駅よりJR呉線で約20分、「忠海」駅下車

「忠海」駅から徒歩約7分で忠海港に行き

大三島フェリーで約15分

大久野島桟橋に到着します。

・大久野島桟橋 広島県竹原市忠海町

■うさぎ島へ車で行く場合

山陽自動車道本郷ICより県道82号線→

県道33号線→県道59号線経由で竹原市忠海港まで行きます。

約16kmで約25分くらいです。

忠海港からはフェリーでうさぎ島へ渡ります。

※フェリー利用も可

駐車場は忠海(ただのうみ)港の公共無料駐車場を利用できます。

・忠海港 広島県竹原市忠海中町1丁目2−1

■うさぎ島は日帰りor宿泊?

うさぎ島の宿泊施設は大久野島でひとつしかありません。

休暇村宿舎 「大久野島(おおくのしま)」です。

休暇村に宿泊する場合は客船利用でうさぎ島に行くこともできます。

公共施設ですので安くてゆっくりうさぎ島を堪能したい人にはこちらで宿泊といったこともできます。

温泉やプールやキャンプ場もあるので十分楽しめると思います。

もちろん日帰りでも大丈夫です。

ウサギとの交流もたのしめますよ。

 

「うさぎ島」大久野島へのフェリー便

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忠海(ただのうみ)港から大久野島(おおくのしま)まではフェリ-があります。

運賃は

片道 おとな310円 こども160円

往復 おとな620円 こども320円

です。

車も往復で4,730円~で乗れます。

便は、行きは、8時30分ぐらいから16時25分までに7便

帰りは、9時20分くらいから16時06分まで6便ほどです。

※2月~10月の間は、17時16分まであり

(平成27年7月現在)

お昼は少し時間が空きますが、だいたい1時間に1便程度です。

混雑等も考えられますのでお早めにいくことをお勧めします。

 

詳しくは、大三島フェリー TEL:(0846)22-6199

 

 

うさぎ島(大久野島)の歴史何故うさぎがいっぱいに?


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今、外国人も多く訪れる「うさぎ島」として有名な大久野島は、瀬戸内海の芸予諸島のひとつです。

広島県の竹原市になります。

■「毒ガスの島」大久野島

「ウサギの島」と言われる前は「毒ガスの島」と言われていました。

それは、大久野島の歴史に関係します。

大久野島の周辺の海域は古くから航路があり、海賊も横行していたようです。

1129年頃に平忠盛がこのあたりを海賊討伐で平定したことから

北側の浦を「忠海」

南側の大三島の地を

「盛(盛漁港)」と名付けたそうです。

その後大久野島には村上水軍の末裔が住んでいたそうです。

近代的施設がはじめて建てられたのは、逓信省大久野島灯台でした。

大久野島は、四国と大島に挟まれた来島海峡は海の難所であったため、それを避けるよう副航路として北側を大きく迂回する三原瀬戸航路が用いられるこに伴い建てられました。
その次にできたのが、陸軍大久野島砲台(芸予要塞)です。

砲台は、もちろん軍事的事情によって建てられたのですが、国防方針変更や要塞砲射程距離の向上・第一次世界大戦で航空機が登場したことにより、既存要塞の整理が行われ新たに豊予要塞ができ、芸予要塞は一度も用いられないまま廃止になりました。

その施設はのち毒ガス保管所など改築されたものも含め遺構として現在も残っています。

 

■地図から消されていた大久野島

大久野島は、昭和初期「地図から消された島」でした。

昭和4年(1929年)から昭和20年(1945年)終戦まで、

大久野島では大日本帝国陸軍によって秘密裏に毒ガスが製造されることになりました。

この時代までは、島内には民家7戸・住人数10人がいて、農耕を営んでいました。

ですが、毒ガスの島となった時に 強制退去となりました。
作られていた毒ガスの種類は血液剤・催涙剤・糜爛剤・嘔吐剤の4種で、太平洋戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていたそうです。

戦後、進駐軍が接収しこの島で無毒化処理ますが、毒ガスの影響は島に残り現在でも島内および周辺海域でその残存兵器が見つかっています。

陸軍の毒ガス工場があったため機密性から秘匿され当時の一般向け地図においてこの一帯は空白地域として扱われたと言われています。

しかし実際には、明治・大正時代から芸予要塞司令部による検閲が入っており、地図では要塞秘匿のため来島海峡からこの島付近一帯まで赤く塗り潰されていたようです。

現在は、ほぼ大久野島の全域が環境省所有の国有地です。

人口は22人(2010年)ですが、先程紹介した、休暇村大久野の従業員なので民家はありません。

 

■何故ウサギがいっぱいに?

では、何故大久野島がうさぎでいっぱいになったのでしょうか?

大久野島の陸軍の毒ガス工場では、戦前および戦中、毒ガスの動物実験用にウサギが飼われいました

また、戦中、戦後には食用にもしていたようです。

しかし、戦後の毒ガス関連処理の際に全羽殺傷処分されてしまいましたので、今うさぎ島にいるうさぎはその当時のウサギの子孫ではありません。

現在、増え続け、生息しているウサギは、

1971年に地元のある小学校で飼われていたウサギ8羽が飼えなくなったため、この大久野島に放されて野生化し繁殖したうさぎです。

ウサギは繁殖力の非常に高い動物です。

数は8羽から2003年では約300羽であったが2015年には約750羽となり、現在も年々増加しています。

■ウサギ島ブーム

そもそもはうさぎ島の存在はほぼ地元広島の人しか知られていませんでした。

ウサギの島としてブームになったきっかけは、

2011年の干支が卯だった年に旅行会社が国内外向けにウサギをテーマとした旅行プランを企画したことでした。

そして2013年ごろ海外のニュースサイトなどが「ラビットアイランド」として動画付きで紹介したことで一気に知れ渡ったそうです。

それにより年間に訪れる観光客も急増し、

2010年度で約15万2千人だったのが、

2014年には約18万6千人、

2015年には約25万5千人にまでなったそうです。

外国人の増加もめざましく

2013年で378人

2014年で5,564人

2015年で17,215と

2016年で18,200人

急増しています。

 

「うさぎ島」エサの持ち込みについて


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うさぎ島のエサは各自みなさん持ち込んでかわいらしいうさぎさんにエサをあげておられます。

野菜を切って持っていく方も多いですが、うさぎ島に行くまでにほかのところの観光などをするために切ってから時間があるときはと水分も飛んでしまいますので、ペレットなどのエサを用意するようにした方がいいですね。

うさぎ島に訪れるのは絶対的にウサギ好きの方ですので、エサをあげてかわいく食べる姿を眺めて癒されたいわけですが、エサの持ち込みすぎで、増え続けるうさぎによって自然環境が破壊されないかといっていることも心配されています。

この島にもともといたうさぎは全部一旦処分されてしまったことから現在、大久野島にいるのはすべて日本の侵略的外来種ワースト100にも指定されているアナウサギです。

生態系が壊れていくことも心配されていますので、エサはあまり持ち込み過ぎないようにしましょう。

 

ま と め

うさぎ島

うさぎ島として世界的にも有名になっている大久野島の行き方アクセス方法と大久野島フェリー便とエサの持ち込みに関しての注意事項をお伝えしました。

うさぎブームがものすごく大久野島周辺のお店もホテルも盛り上がっています。竹原市に訪れる観光客も5年前より約30万人も増加したそうです。

そのためウサギに関するおみやげや食べ物の売れ行きも好調で経済効果もものすごいようですね。

うさぎさまさまなようですが、急激に増え過ぎたうさぎの自然破壊も気になります。

あまり過度なエサの持ち込みはやらないようにしましょう。

地図からも消されていたといわれる「毒ガス島」からかわいい「ウサギの島」への大変貌をとげた大久野島です。

瀬戸内海の海もとてもすばらしいところですので一度行かれてはいかがでしょうか。