美容整形で知られる高須クリニックの高須克弥院長(71)が彼女である漫画家の西原理恵子さん(51)と共著した作品熟年恋愛を赤裸々に描いた『ダーリンは70歳』を絶版にするとツイッターで宣言した。出版元の小学館と意見が対立したということが理由のようです。彼女の西原理恵子さんの壮絶人生のことや西原理恵子さん元の旦那さんのことについてお伝えしたいと思います。
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『ダーリンは70歳~高須帝国の逆襲~』の内容と絶版の経緯
5月25日に発売された「ダーリンは70歳・高須帝国の逆襲」は、高須克弥院長と漫画家の西原理恵子さんの共著した作品といったことですが、どんな内容なのか?
『ダーリンは70歳高須帝国の逆襲』は、高須克弥院長のロングインタビューが掲載された熟年恋愛を赤裸々に描いた大人気作品「ダーリンは70歳」のスピンオフ本ですね。
破天荒なマンガの内容は事実なのか?とか西原さんの脚色ではないのか?などに答えます。
西原理恵子さんの描き下ろしマンガ「りえちゃんとぼく」も収録されています。
これも名作「いけちゃんとぼく」のスピンオフ作品なのですね。
読まれた方の感想は?
『ダーリンは70歳~高須帝国の逆襲~』、恋が秘め事を離れたら、底が割れる程の幸せの伝播に。さかいゆうクンの『Life is…』を聞きながら読むと…泣く!ウチは家族で読んでます!高須克弥院長の言葉は、とてもやさしい。是非!
西原理恵子・高須克弥共著「ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲」。院長の愛が溢れてて夜中に一気に読了
高須先生loveになりそうで、やばいです!
西原さんの漫画は超大好きで、全部持っていますが、イマイチわからなかったのが、高須先生との関係。お金持ちだから? とか思ってたけど、めちゃめちゃ可愛いくてステキなダーリンですね! 末長くお幸せに!
と概ね好評なようであった。
絶版の経緯
しかし、高須克弥院長は5月30日に更新したツイッターで、小学館の偉い人が名古屋の高須グループ本部にきて
「ダーリンは70歳~高須帝国の逆襲」に不適切な表現があるので回収します。」
「書き直しお願いします。」
との小学館側からの要請があったことを明かしました。
しかし、その要請に高須克弥院長は、
「僕は吐いた唾は飲まない!断固拒否。絶版にする!儲けそこねた西原理恵子の怒り顔が目に浮かぶ」
と要請を拒否し絶版にすると宣言した。
また続けて、
「『ダーリンは70歳~高須帝国の逆襲』は、まもなく市場から消滅する。
諸君!小学館が書店から回収する前に買いなさい!絶対に貴重品になること請け負いなう」
とつぶやいています。
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高須克弥の彼女漫画家の西原理恵子の壮絶人生
高須克弥さんに交際相手がおられたのも知らなかったのだが、漫画家 だということももちろん初耳でした。
なので西原 理恵子さんのことを調べてみました。
西原 理恵子(さいばら りえこ)プロフィール
生年月日:1964年11月1日
出 身 地:高知県高知市出身
学 歴:私立土佐女子高等学校中退
大学入学資格検定合格、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業
通 称:「サイバラ」、「りえぞお」
経 歴
1988年『ちくろ幼稚園』で漫画家としてデビューします。
作品はギャンブルや、旅行体験レポートなど、実体験に基づいた大人向けギャグ漫画作品が中心です。
代表作は『ぼくんち』、『毎日かあさん』など多数。
西原 理恵子さんのは壮絶幼年期
西原 理恵子さんの幼年期は壮絶な環境であった。
入退院を繰り返す程のアルコール依存症の実父と姑問題などに悩まされた母は、西原理恵子さんを身籠っている最中に実家に戻り出産します。
そのまま西原 理恵子さんの実父は西原と会う事もなく西原の幼少期に死去されています。
そして西原理恵子さんのお母さんは、7才の時に再婚されます。
その義父は、無類のギャンブル好きでさまざまな商売に手をつけて成功と失敗を繰り返す人だったのです。
そんな義父との生活は、浮き沈みの激しくて奔放な日々だったといいます。
しかし、義父は西原の事を実の子のようにかわいがってくれたみたいですね。
西原理恵子さんは、私立土佐女子高等学校在学中に飲酒によって退学処分を受けてしまいます。
その処分に納得のいかない西原理恵子さんは、学校側の一方的な言い分に不服を申し立て訴えます。
なんとその費用は義父からおこづかいを前借りして訴訟に踏み切ったそうです。
中退後は美大受験を志しますが、美大受験の前日に義父がギャンブルで莫大な借金を作った事で縊死を遂げてしまいます。
その後、19歳で100万円を持って美大受験のため単身上京、大検に合格し、予備校に通い始め1年後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に入学しました。
西原 理恵子さん漫画家デビュー
西原 理恵子さんは、在学中から、飲食店での皿洗いやミニスカパブでホステスのアルバイトをしながら描き続けていた成人雑誌のカットが小学館の編集者八巻和弘の目に留まり、1988年『ちくろ幼稚園』(『ヤングサンデー』)でデビューを果たします。
その後、パチンコ雑誌、麻雀漫画誌、漫画週刊誌などに連載を持つ。
「ギャンブルマンガを描くには実際に体験する必要がある。」という本人の言葉通り、数年間パチンコや高レートの麻雀に熱中する日々が続きます。
結果、損失金額は10年間で約5000万円となる。
本人曰く、「私が負ければ負けるほど読者の受けがいい」とのことである。
そうした、ギャンブルに負けたことをあけすけにネタにした過激な自虐エピソードや、実在のプロ雀師らの大胆なディフォルメ描写が好評を博します。
1992年には『週刊朝日』誌上に神足裕司とタッグを組み連載したグルメレポ漫画『恨ミシュラン』で一躍人気がでました。
西原 理恵子さんの元旦那さん
西原理恵子さんは、フォトジャーナリスト鴨志田穣さんと一度目の結婚します。
鴨志田穣さんと西原理恵子さんの結婚は1996年に企画された旅行体験ルポ漫画『鳥頭紀行』のアマゾン取材旅行で、カメラマンとして同行して知り合ったことがきっかけでした。
やがて一男一女をもうけまます。
しかし、鴨志田穣さんのアルコール依存症や西原理恵子さんのの多忙によるすれ違いなどが原因で2003年に離婚。
しかし、その後も絶縁したわけではなく、子供の親として頻繁にコミュニケーションはとっていた。
そうした中、西原理恵子さんのサポートによって鴨志田穣さんはアルコール依存症を克服することができました。
また婚姻届を出さない事実婚の形で同居を再開したが、その時点で鴨志田穣さんは末期の腎癌であり、半年後の2007年3月20日に死去。
葬儀では西原理恵子さんは元妻として喪主を務められました。
ま と め
西原 理恵子さんのアルコール依存症を取り上げたテレビ番組にコメンテーターとして出演されて自身の体験を語ることも少なくないです。
壮絶な人生をつづった本も多数なため実写映画化、ドラマ化されることも多いです。高須克弥さんも西原 理恵子さんのそんな体験をとおしてタフでそして人間味あふれた西原 理恵子さんに惹かれたのではと思います。
今回の、「ダーリンは70歳~高須帝国の逆襲」の絶版についてもお二人の笑い話になるのでしょうね。
すごい痛快な大人のカップルに乾杯です。
西原 理恵子さんの彼氏高須院長の豪快エピソードはコチラ
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