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節分の由来やいつからかの歴史を簡単に!豆まきする本当の意味とは?

   

     

節分といえば、2月の最初にある日本の季節の風習ですね。

「節分」は日本人にとって昔からとても大切にされてきた行事なのです。

そもそも節分というのはどういった由来があるのでしょうか?

いつからかはじまったのかや節分の歴史を簡単にお伝えするとともに鬼に豆を投げる、豆まきをする本当の意味とは等をお伝えします。

 




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節分の由来とは?

■節分の由来とは?本来、季節の変わり目の事だった!

節分は現在、「立春」の前日の事です。

ですので、通常2月3日や2月4日になります。

しかし、

元を辿ってみると、

節分は

「節分かれ(せちわかれ)」ともいい、

文字通り季節の分かれ目のことを意味していました。

ですので

立春、

立夏、

立秋、

立冬、

これらの前日がもとはみんな「節分」だったのです。

また、

一般にはこの「春夏秋冬」の4つが季節の分かれ目

と言われていますが、

その他にも、

彼岸、

八十八夜、

入梅、

土用、

端午の節句、

七夕、

中元等

全てが節分とされていたのです。

このように広い意味で季節の分け目だった

「節分」が、

いつのころか

立春」(の前日)に限ってを言うようになりました。

ではなぜそのように変わっていったのかや節分の

歴史をみていきます。

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節分の歴史

■節分は大晦日だった?

立春の節分のみが何故残ったのか?

現在日本では明治維新後から

採用された新暦(太陽暦)を使ってます。

ですので今の新年は1月1日が一年のスタートです。

しかし昔は、

一年の始まりは春からスタートする

と考えられていました。

ですので、先にあげた

さまざまな節分の中でも、春の始まり

「立春」は、

他の節目とは少し違って特別なものでした。

ですので、たくさんあった節分の中でも

「立春」の前日の節分のみが残り

人々の意識に根付いたのですね。

 

節分は大晦日のようなもの?




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このように昔の日本人にとって春は、

一年の始まり

その

「立春」の前日の「節分」

大晦日と同等に思い、

「節分」の夜には邪気を払い身を清め、

それから新しい年を迎えようとしていたようです。

一年のはじまりとともにある春の節分は、

立春の前日が大晦日のような感覚だったのではないでしょうか。

このような春の特別感は、

現代で言う新年度である4月の存在に近いものがあるのでしょうか?

 

それはどうかはともかく、そのような歴史をみると

節分は現在でも大晦日と同じような

特別感をもって迎えるようにしてもいいかもしれませんね。

 

立春と旧正月は同じではない!

ちなみに「立春」と「旧正月」は同じ日ではありません。

日本では立春や旧正月を祝うといったことはそれほど意識されない方も多いですが、

今でも中国をはじめアジアの国々では、

日本でいう旧暦のお正月の方を盛大に祝いますね。

先ほど言った明治維新前のお正月(旧正月)は、

「立春」あたりにあります。

 

ですので「立春」と「旧正月」は同じと勘違いしやすいのですが違うのですね。

簡単に言うと

「立春」は、

二十四節気の第一節気といったことからの

一年の始まりをいい、

「旧正月」は、

旧暦の冬至の日から2回目の新月が上がる日を中国での旧正月で新年の始まりとしています。

ですので基本的には、

「立春」と「旧正月」はイコールではないのです。

ただ、日が重なるときもあります。

その時は、

「朔旦立春」呼ばれ、貴重な日のためか大変縁起のいい日とされています。

ちなみに2038年に「立春」と「旧正月」は同じ日になるそうです。

 

 

■節分に何故鬼なのか?




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では何故、節分に鬼を追い払うのでしょうか。

これには、

節分には鬼(邪気)を払って、新しい年を迎えるといった意味があります。

歴史をみると

中世では大晦日

ご先祖様の霊がこの世に訪ねてくる晩と言われていました。

また、

昼は福の神

夜には妖怪(山の神)

もまた同じように訪ねてくるのです。

新年を迎える前夜はこのように

不思議な力を秘めていると考えられていたのです。

そんな大晦日には、

陰陽師達によって

「追儺(ついな)」という儀礼がなされていました。

これは、中国の
目に見えない疫鬼を追い払うという儀礼です。

この追儺が日本に伝わってきて、

仏教の行事に取り込まれました。

仏教の追儺の儀礼を仏教では「修正会」、「修二会」といいます。

それが伝わり、追儺の儀礼は、

平安時代には厄災を追い払い、新年を迎える宮中行事としておこなわれていました。

 

そういった追儺のようなものが庶民にもひろまったのは、

室町時代以降のようです。

旧暦ではお正月(元旦)と節分の日が近かったといいましたが、

そういったことから、

本来は大晦日に行われていた

この追儺が節分に行われるようになったのだといわれています。

それが

民間にも広く知れ渡るにつれて

節分の鬼を追い払うといったことの

風習に定着していったのですね。

だだ、そもそもの

追儺がどういう内容のものだったのか等も諸説あります。

ですので、地域によりいろいろな方法の

「節分のお祭り」が行われているといったことの理由でもあります。
地方に言い伝え続けられたさまざま「節分祭り」の特徴によって現代でもさまざまなことを感じることが出来そうです。

節分 由来 いつから 歴史 簡単 豆まきする 意味

節分に豆まきする本当の意味とは?

そういった「節分」ですが、まず思いつくのが

「鬼は外、福は内」と言って豆をまく風習ですね。

節分の歴史で追儺などから特別な日である節分と鬼のが結びついた

といわれているといいましたが、

追儺という儀礼では、豆を撒いてはいませんでした。
追儺では豆をまくのでは無く、別の方法で鬼を払ったのです。

追儺と節分の豆まきは本来別々のものだったのですね。

では何故、節分に豆をまくようになったでしょうか?

豆をまくといった風習は、

庶民に広まって行ったころから行われるようになったようです。

追儺の儀礼が、民間で行われるにつれて、

追儺の儀式の

「魔の目を打つ」、

「魔を滅する」

といったことを

穀物には邪気を払う力があると考えられていたことなどといったことに結びつき、

豆の霊力で邪気を払うという意味もこめ

豆で打ち鬼の目を潰して魔滅する

豆をまいて鬼を追い払う

といったことつながっていったようです。

また、

豆=まめ=丈夫で元気

勤勉といった意味からも

豆がつかわれているようです。

 

昔から豆は貴重な作物だった為に、

霊気が宿るとされていたのですね。
そもそも豆を撒くというのももとは中国にある風習でした。

日本にも既に「散米(うちまき)」といって、

米を撒いて悪霊を払う方法があったので、

豆を撒くのも受け入れやすかったようです。

 

ま と め

節分というのは、そもそもなんなのか。

節分の由来や節分はいつから根付いたものなのかや歴史を簡単にみていきました。

また、何故鬼が登場したのかや豆まきする本当の意味とはなども調べてみました。

旧暦での一年の始まりの前日の節分の日にさまざまな思いを込めて続けられてきた大切な行事であるなということがあらためてわかりました。

そういった意味もお話ししながらお子様と節分の豆まきをやってみるといいですね。

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